2月 142016
 

岡本梅林公園(岡本公園)内にある看板の山本梅岳は表示が間違っていたという事は前に書いた通りですが、正しくは山本梅崖が残したという「岡本梅林記」とはどういうものなのか、という事がほぼ掴めたのでここに書いておきます。

「小羅浮」の著者である宝積寺の住職、鹿岳光雄さんが昭和56年3月5日発行された「随筆 岡本の梅」の中でこの件に関して書いておられました。

小羅浮にも原漢文を載せられていますが、「岡本の梅」の中で「山本梅崖先生が『岡本梅林記』なる書幅を増田家にのこしておられ・・・」と表現されています。

岡本梅林記は間違いなく山本梅崖が残したもので、当時の岡本の豪族、庄屋の増田太郎右衛門がもらったということで、おそらく現在も増田家に残っているのだろうと想像できます。また、小羅浮の原漢文に田淵恒(太郎)の名前が出てくるのも文人墨客や役人、名主が入れ替わり立ち替わり訪れたのだろうと安易に想像できます

 

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上画像、「岡本の梅」を神戸市立東灘図書館から借りてきました

随筆「岡本の梅」昭和56年3月5日発行 著者 鹿岳光雄 発行所 宝積寺

 

わずか100年前は本山村に500人程度だった人口が100倍以上に・・・
(明治10年425人、明治42年433人この間ほぼ変わらず。大正元年584人、大正5年716人、大正10年900人、昭和元年1345人、昭和19年5119人 。野寄、岡本、田中、田辺、北畑、小路、中野合計本山村戸数調査表より)

 

ヘボソ塚(扁保曽塚)古墳も梅林も今では見る事が出来ないが、一編の文章を読むだけでもタイムトラベルできるのは楽しい

扁保曽ってなんなのだろうねぇ・・・
ヘボソで機織りの音が聞こえたのだそうな・・・

中国泰氏一族の大渡来によってやってきた秦人は機織が得意で雄略天皇の時に布織物を献上したとか・・
摂津名所図会に扁保曽墓の項に『岡本の袁佐婆(おさば)に立てる扁保曽塚、布織る人は岡本にあり』と・・・

村の伝説では毎年正月の2日に塚の方から布を織る筬(おさ)の音が聞こえたといふ・・・
岡本も古名『おさもと』かも・・・
北畑も織物道具の『ハタ』、機人(ハタビト)の北ではないか・・・
野寄は布織『ぬのおり』から来ているのではないか・・

そう言われるとなんだか一つに繋がります・・・ふむふむ

 

 

まぁ、諸説あります・・・

 

想像するのはたのしいねぇ・・・

(参考文献)「小羅浮(しょうらふ)」昭和8年2月11日発行(1933年)岡本梅郷保勝記  著者:鹿岳光雄
随筆「岡本の梅」昭和56年3月5日発行 著者 鹿岳光雄 発行所 宝積寺
宝積寺は下の地図参照

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