9月 112016
 

hebosohi

扁保曽塚址と彫られた石碑。現在は駐車場の横に置かれている。詳しくは下の地図を見て頂きたい。ほとんど通る事のない小径なので、石碑が在るとは知らない人が多いかもしれない。

hebosop

へボソ塚説明文、「岡本のオサパに立てる・・・」はオサパではなくオサバですなぁ。間違ってますよ _| ̄|○
摂津名所図会に扁保曽墓の項に『岡本の袁佐婆(おさば)に立てる扁保曽塚、布織る人は岡本にあり』と書いてあります
まぁこんな話はどうでもいい。良くある間違いだ! とはいえ、ちゃんと校正しなさい!と言いたい…
下画像は摂津名所図会・武庫郡菟原郡。七ノ二十九の見開き左ページより
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兵庫県の史蹟名勝天然記念物調査報告書(大正14年5月)の文献の中に扁保曽塚の記事があったのでコピーを貼り付けておく

ちょっと読みづらいので、時間が出来たらPDFにでもしてみようか…

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ここにも誤りか?

このヘボソ塚は字名マンパイという所にあったらしい。が、上の文章はマンバイとなっている

マンパイが正しいのかマンバイが正しいのか?

本山村誌ではマンパイとなっていたが・・・本山村誌は昭和28年発行だし・・・

こちらは大正14年発行の物だからやはり字名はマンバイと言っていたのだろうか・・・

岡本は嘗て梅の産地だったことからやはりマンバイ=万梅 だろうか。数万樹の梅が植わっていたという話もあるので、マンバイと言っていた方が自然かもしれない

歴史家、郷土史研究家の田辺眞人氏もマンパイといっていたような・・・
また、宝積寺の和尚、鹿岳光雄さんもマンパイと言っていたような?? まぁ、マンパイでもマンバイでもどちらでもいいのだけれど本当はどうなのだろう?? 謎 もっと古い文献があれば分かるかも知れない・・・・

宿題にしておこう

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2月 062016
 

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岡本 わが町 岡本からの文化発信 2015年4月10日発行 編者:中島俊郎 製作・発売:神戸新聞総合出版センター

神戸市の図書館よりお借りしてきた。

すぐに目に入るブックカバーは岡本梅花見図(摂津名所図会、武庫郡兎原郡の挿絵)

 

注釈には 彫 藤沢洋、摺 松永安生、版元 岡本交友会、平成八年刊

という添え書きがあった。岡本梅まつりの案内でよくみるカラーの岡本梅花見図。

摂津名所図会の岡本梅花見図、丹羽桃渓画(下画像:早稲田大学図書館蔵書より)だが、CGで色づけしたものだとばかり思っていたが復刻した木版画だったようだ

ふむふむ・・・

hanamidu

元絵はこちら→ 早稲田大学図書館蔵書、摂津名所図会武庫郡兎原郡 丹羽桃渓画

 

この本を読んでいると、地元の知らなかった話や面白い話が満載。歴史の紐が少しづつ解けてくる

1月 292016
 

先日摂津名所図会・有馬郡能勢郡を入手してペラペラとめくっていて気が付いた!

多くの摂津名所図会・有馬郡能勢郡と違っているページがあった。何度も改訂しているようで年代によって少しずつ絵が差し替わっているが他では見た事がないのでここに上げておく。剣尾山が有馬?生田川の絵に差替えられていた

有馬郡・挿絵9-46剣尾山

 

 

(下)文政6年版 摂津名所図会 有馬郡・能勢郡

九ノ四十六

多くは上の釼尾山・月峰寺だが文政6年版では下の様に有馬?生田川?の絵に差替えされている

兎原処女(うないおとめ)の話の様な絵になっている??

その後、有馬筆の話と塩湯の話みたい

画風が他と随分違っている

 

有馬郡・挿絵9-46_ページ_1

文政六年印刷の根拠は下の通り、注釈に奉文政六年とあるからそうなのだろう

ArimaAuto027

 

只今スキャナーにて取込中なので、そろった時点でいつの日にかアップしてみよう

 

1月 202016
 

bairin

岡本(梅林)公園内の案内板を読んでみると

「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林の起源は明確でないが、山本梅岳の「岡本梅林記」に羽柴秀吉の来訪が記されているところよりかなり古くから存在していたようである。寛政十年(1798)には『摂津名所図会』に岡本梅林の図が登場する程盛んとなった。(以下略)」

とあるのですが、ここに記された山本梅岳ならびに岡本梅林記なるものがさっぱりわからない。

便利なインターネット検索エンジンを使っても全く出て来ない。出てくるのは、この看板の文章をそのままコピーした文面の記事ばかりなのです_| ̄|○

国立国会図書館サーチを使ってみても出て来ない_| ̄|○

もう、これは完全にお手上げです。

郷土歴史関係の書籍を探すしかないのかなぁ・・・ いっそ、朝日放送の探偵ナイトスクープにでも依頼しようか(爆)

ここに記された山本梅岳ならびに岡本梅林記なるものをご存知の方、情報ありましたらお教えください

追記(2016.2.1)
この件自己解決しました。山本梅岳ではなく山本梅崖じゃないかな?詳しくはこちら
(2016.2.19追記)
誤表示指摘に対し神戸市建設局東部建設事務所公園緑地係の担当者様より本日回答メールいただきました。
現地にて表記の誤りを確認しましたので取り急ぎ応急的な表記の訂正を行い、後日最終訂正を行います。ご連絡ありがとうございました。との事でした。(すべて解決!) m(__)m

この件に関しご意見、ご感想はメール、もしくはコメントよりお願いいたします

1月 182016
 

平成29年2月26日だそうである

(上の画像は梅まつり実行委員会HPより無断拝借)
bairin

(↑ 岡本梅林園内の案内板)
岡本梅林公園の案内板や実行委員会作成の案内画像に、江戸時代の岡本梅林の様子で「摂津名所図会」よりと書かれてあるので、興味が湧いたので調べてみました。

摂津名所図会(せっつめいしょずえ)は摂津の国、十二郡に亘る名勝古跡を絵と文で紹介した地誌である。
著者は秋里籬島(あきさと りとう)絵は竹原春朝斎(たけはら しゅんちょうさい)ほか数人によるものとなっている
寛政8年(1796年)に3巻4冊発行され、2年後に6巻8冊され合計9巻12冊が発行されている
詳しい話はウィキペディアなり研究文献に譲ることとして、現物内容が見たくなり、どうしたものかと調べてみた

今より約200年前に発行されたものではあるが、公立の図書館などに蔵書としてある程度置かれていることもわかった。ただ、古文書にあたるので、新書のように貸し出されている事はほとんどないようだが、図書館内で閲覧はできるようだ。

ウェブで「摂津名所図会」と検索掛け調べてみると、武庫川女子大や早稲田大学がほぼ12冊すべてを画像公開している事がわかった。他大学や公立の各機関でも画像公開されてはいるが、上の2校が全てのページを閲覧できるという点で他に大きく勝っている。
これでありがたい事に図書館に出かけなくとも、パソコンさえあれば閲覧することが出来る。実にありがたい事である、良い時代になったものだ。

以下にリンクを貼っておくので興味のある方はどうぞご覧ください

武庫川女子大学リポジトリ「摂津名所図会」

早稲田大学 古典籍データベース 「摂津名所図会」

上、ご利用にあたっては各サイト利用注意事項を良くお読みになってご利用ください

 

 

話を「岡本梅花見図」に話を戻し、「摂津名所図会」のどこで紹介されているのかとさらに調べてみた。
地誌なので「岡本」が載っているのは第7巻、摂津名所図会 武庫郡 菟原郡の巻である。

面倒なので結論から先に書くが、武庫川女子大学が公開している学術成果コレクション「摂津名所図会」には「岡本梅花見図」が載っているページはない
岡本梅花見図」が載っているのは早稲田大学古典籍データベースにある「摂津名所図会・[前,後編]」もしくは「摂津名所図会. [正,続篇]」のほうである

早稲田大学の古典籍データベースで「摂津名所図会」を検索かけると、「摂津名所図会・[前,後編]」と「摂津名所図会. [正,続篇]」がでてくる。違いは何かといえば発刊の年月のようである。最初の発行年月は最終ページに書いてあるものの、今日の様に版数や改訂履歴など書かれてはいないので、実際その本が作られた年月を割り出すのは難しい。早稲田大学が「前,後編」と [正,続篇]をどのようにして分けたのかはわからないが・・どこか違うのかな??

先日私が買った1冊、第9巻「摂津名所図会・有馬郡 能勢郡」では余白に注釈として「今文政6年・・・」の一文があることから1823年(文政6年)に刷られたものであることが推測されるが、そういった追加の一文がなければ年月を推測するのはかなり難しいと言える。
私の所有する摂津名所図会が1823年製という事は、初版が1796年(寛政8年)という事なので、実に27年もの間ほぼ初版と同じ板木で刷っていた事になる。これもまた驚きですが、江戸時代はゆっくりと時間が流れていたのだろうか・・・おもしろい
私の所有する1823年製と、初版とされる1796年製の違いは両開きの挿絵が2ページと、たまたま入っていた注釈文くらいである
またまた話を「岡本梅花見図」に戻そう。 「岡本梅花見図」が載っているのは先にも書いた通り早稲田大学のほうである。

これも面倒だろうから(禁じ手の)直リンクをはりつけておこう

「摂津名所図会・[前,後編]」  「岡本梅花見図」

「摂津名所図会. [正,続篇]」  「岡本梅花見図」  どちらも早稲田大学所蔵

どうやら「岡本梅花見図」が摂津名所図会で紹介されたのは初版(武庫川女子大学所蔵版)ではなさそうである。(あくまでも個人の意見です)

年月は分からないが、いわゆる改訂版で挿絵を差替えて印刷したようだ。

 

 

根拠は次の通りである!(これはあくまでも私の個人見解ですが、ほぼ間違ってはいないでしょう)

武庫川女子大学の蔵書と早稲田大学の蔵書「摂津名所図会・武庫郡 菟原郡」を1ページ目からじっくりと比べるとわかると思いますが・・・

1.絵だけに視点をあわせて……….見てみると、「鳴尾西瓜畑」の絵が「岡本梅花見図」に差替えられているが「武庫川」、「鳴尾西瓜畑」、「西宮」、「芦屋浦」、「打出濱」と東から順に西へと紹介されているのに、差替えることによって西に飛んでまた東に戻るという地誌にしてはちょっと編集のまずさがみられる。いかにも無理からに差替えた様に見える。逆の言い方をすれば、順番が狂ってでも、どうしても「岡本梅花見図」を紹介したかったようである。

2.見開きページの中央、のどの部分下側に四角枠で板木師の名前が書かれているが、武庫川女子大学の蔵書は見てとれる所は全て「イサハ」に対し、早稲田大学の蔵書は「岡本梅花見図」のページのみ「ニハ庄」となっている。

以上の事から、いわゆる改訂版にて「岡本梅花見図」が摂津名所図会に載ったようである。

 

なお、摂津名所図会は単色刷りなので、摂津岡本梅まつりで使われている様なカラー刷りではありません。現代の誰かが見開きページを貼り合わせ色づけしたものと思われます。

原画を改変した場合はそのことを書くべきだと思いますが・・・

 

以上

この件に関しご意見、ご感想はメール、もしくはコメントよりお願いいたします

2月 282013
 

2016年摂津岡本梅まつりについて追記:
摂津岡本梅まつり 平成28年2月28日 (日) 午前10時~午後3時 となっております

岡本公園内の看板、一部表記が間違っています。岡本(梅林)公園内の案内板を読んでみると
昔から、「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林の起源は明確でないが、山本梅岳の「岡本梅林記」に羽柴秀吉の来訪が記されているところよりかなり古くから存在していたようである。寛政十年(1798)には『摂津名所図会』に岡本梅林の図が登場する程盛んとなった。(以下略)」とありますが・・・
山本梅岳ではなく山本梅崖です。古い文献を調べて分かりました。 この件に関する詳しい話はこちら
以上
bairin
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2013年2月24日 岡本梅林公園 摂津岡本梅まつり

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今年は少し咲くのが遅い様に思われる。暖かい日が続くと、いっきに咲くのだろうけど

「気仙沼まただいん」がテントで商品を販売していたので、1つ買って帰った

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岡本のお店にも行ってみたが、盛況の様でお店に入るのはまたの機会にする事にした。

下の写真は岡本のお店 ↓

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2月 272011
 

植えるのが遅かったのでどうなる事かと思っていたけれど、今水仙が満開となった

たくさん植えたのでかなりの甘い匂いが漂っている

(3月27日追記  まだ沢山咲いてはいるが、もうそろそろ終わりの感じ。今日は風が冷たい)

天気もそこそこだし、岡本の梅林園で梅まつりをやっているというので出かけてみた。

昼を過ぎていたので、既に甘酒もパンも苗木もなかった。午後もかなりの人出だが、午前中はごったがえしていたに違いない。

 

岡本の梅林園はこの時期有名だが、正直もっと大きな公園かと思っていたが意外に小さな公園だ。近くに居ながら初めて来た感想としてはそんな感じだ。でも、いろんな種類の梅の木が植えられているので、じっくり見るには十分な広さだ。

白い花、「月宮殿」と書いてあった

公園内の案内板には次のように書かれてあった

昔から、「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われ岡本梅林の起源は明確でないが、山本梅岳(←この看板はミスプリント、山本梅崖ではないかと思われる)の「岡本梅林記」に羽柴秀吉の来訪が記されているところよりかなり古くから存在していたようである。寛政十年(1798)には『摂津名所図会』に岡本梅林の図が登場する程盛んとなった。
明治維新後は、国学者大国隆正が、「岡本の梅とききつつ来てみれば 梅の中なる岡本の里」と詠じているように 全村の各戸に梅の木を植え、増田太郎右衛門所有の約3ヘクタールの梅林をはじめとして、相当広い範囲にわたっていた。
明治三十年頃から観梅期に国鉄が臨時停車場を設けるようになり、明治三十八年に開通した阪神電車が青木停留所を設けるにいたり岡本の観梅は阪神間における年中行事の一つとなった。
このように令名をうたわれた岡本梅林も昭和十三年の災害で山が崩れ、戦災で梅の木も消滅し、その後の開発で宅地化され、ほとんどその面影を残さない状態となっていたが、このたび岡本梅林を記念し『岡本公園』として、その一部を復活整備した。

昭和57年2月

(右下、絵はがき下に書かれてある文章)
「梅は岡本・・・」と唄われたころの岡本梅林の絵はがき(明治四十年-1907-のスタンプがある)
この頃は二月十一日の旧紀元節を山びらきとし、三月中旬を山じまいとした。この間一ケ月は茶亭が建ち並び梅果の焼酎漬、梅菓子等を行楽客に勧めた。梅は当初実を取るため植えられたもので、年間百石以上を産し品質が良いことで有名であった。

かつての本山、岡本の地は梅が沢山植わって梅の産地だったらしい。

(追記 2016.1)
岡本公園内の案内板に、山本梅岳、岡本梅林記の事について書かれていますが、いくら調べてみてもわからないのです。
この件についてご存知の方、郷土史に詳しい方、この件についてお教えいただけないでしょうか。メールもしくはコメント投稿より連絡お願いいたします。

(追記 2016.2.1 解決しました)

おそらく山本梅岳は間違い山本梅崖(やまもとばいがい)が正しいと思われます

詳しくは、こちら