4月 232018
 

保久良神社の磐座 神生岩 (イワクラ カミナリイワ)

 

当ホームページの「野寄の大石」の記事に興味を示された先生から、先日ご自身の著書である「穿孔貝-ボーリング・シェル-の詩」を頂戴いたしました

千代田厚史先生は教諭退職後ライフワークとして穿孔貝の研究され日本地質学会、日本古生物学会での発表もこなされているそうです
野寄の大石」の記事にも書いてありますが、野寄の大石の表面の穴は穿孔貝によるものではなかろうか。また、保久良神社の神生岩(かみなりいわ)表面の大小の穴も同じく貝類によるものではないかという記事に対し穿孔貝の巣穴としてほぼ合致するということで、ぜひ調査を行ってみたいという事でした。先生は埼玉の方なので、遠方ゆえその後調査に来られたか不明ですが・・・

野寄の大石は記事を書いて以来散歩の度にたびたび見ていますが、保久良神社の雷岩(神生岩)をじっくり見たことがなかったので見に行って来ました

 

下の写真2枚は保久良神社 磐座 神生岩のアップ。なるほど、よく見ると表面に小さな穴がぷつぷつあるのが見てとれます。これが穿孔貝による痕跡という事なのでしょうか…

保久良神社より更に上の金鳥山350m付近でも貝類の穿孔痕が見られるという(本山村誌による)

何れにしても専門家の意見を待ちたい所である

(2018.7.4  追加)

一昨日千代田厚史先生よりこのほど穿孔貝に関するホームページ(http://www7b.biglobe.ne.jp/~poetry-boringshell/)を立ち上げたというメールを頂きましたのでここで紹介です。
なお、#20 野寄の大石についても秋以降調査したいというお話でした
以下はメール内容転載です。ご興味のある方はご覧ください。なお、HPは左リンク項からも入れますので宜しくお願い致します

 

 

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関係者 様
御元気のことと存じます。
さて、この度、穿孔貝について解説するホームページ(ウェブサイト)を立ち上げ、7月1日付で公開しましたのでお知らせいたします。
化石ないし現生の穿孔貝に関して、自分がまとめられそうな内容をざっと拾い出したら50項目を越えてしまいましたが、順次(順不同となりますが)公開していきたいと思います。
タイトルとアドレスは以下のとおりです。

『ウェブ版 穿孔貝の詩』
http://www7b.biglobe.ne.jp/~poetry-boringshell/

お忙しいこととは存じますが、御時間のあるときにご覧いただいて批評や評価、改善のアドバイスや誤りの御指摘等をお願いしたいと存じます。
最後になりますが、皆様の御活躍を祈念申し上げます。

東松山市化石と自然の体験館 講師 千代田厚史
****************

 

 

2月 282016
 

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かつて岡本に重五郎梅というこの地特産の梅があったそうな。今では殆ど見る事が出来ないが、なんと近くの本山第一小学校校庭にあることが分かり見に行ってきた。
小学校は今年140年を迎えた歴史のある学校(前身は田辺小学校、創立明治8年(1875年)12月1日)。残念ながら校庭の自由開放日ではなかったので入れなかったので外から眺める。(プール横なので校内からは近寄れないと思われるので、学校の外の踏切近くの塀越しから覗くのが最寄りでベスト)
幾輪かは開花してはいるが全体からみるとまだ先の様だ。南高梅や加賀など白梅がすでに満開なのにくらべると少々遅い感じ。

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重五郎梅の大きさは第一小学校のHPに画像があり、それを見てみるとその実の大きさが分かるがかなりのものだ。直径5cmくらいというから結構な大きさだ。

我が家にも梅の木があるが(もちろん重五郎梅ではない白梅、樹齢推定60年位)、数年前に採れた過去最大の1粒くらいありそうだ。(下画像は5,6年前に良く採れた時の写真)

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重五郎梅についてウェブ上に正しい記事がないようなので、以前調べた話をここに書いておこう

その昔岡本の字名、東山田(現在の岡本5丁目あたり)に重五郎という者が改良と培養に心血を注ぎ、ついに大粒にして且つ美味なる実の梅を創成するに至った。以前松谷重郎兵衛さんが東山田に住んでおられ、その松谷家という豪族が梅林をもっておられたという事から、この家のご先祖さんの誰かがつくられたのだろうという事だ。

重五郎梅について面白い話があります。かつて明治25年に、魚崎の岡本藤治という人が東京に旅行した時に、鳥森の某旅館に泊まりました。そして宿の者に焼酎漬けの梅を求めました。女中が持ち来りまして「この梅は灘岡本の重五郎梅ですから、少々高うござんす」と申しまして、一粒金10銭を支払ったとの事です。その頃は白米1升78銭という頃でありましたから誠に面白い土産話であると、今に言い伝えています。因みに只今(昭和8年現在)にても重五郎梅をはじめ、その他の梅におきましても、一般市場の梅よりも遥かに高値でありまして、岡本梅と銘打ちますものは1升1円ないし2円と申しています。岡本の梅がいかに良種であり、その名声を今に留めているか分かる一端でしょう。
(昭和8年(1933年)発行 「小羅浮」鹿岳光雄著より)

 

 

(その他の関連資料)

白梅では「重五郎」紅梅にては「りんしゅう」が最上だと申す。

唐梅はこの郷の特種なるもので唐梅の名は岡本梅の代名詞という程に広く知られています…

・・・・

唐梅については別の日に語ろう・・・

 

 

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特徴的なものは現物を見てもなかなか捉えにくい。中輪一重 白色,淡紅色という感じか・・

開花は他に比べかなり遅いように感じる、これは一つの特徴かも。ただ、学校内の梅の為か選定が殆どされていない様に見える、枝ぶりもやたらと入り込んで密集している_| ̄|○ これも影響しているのかも・・・

我が家の梅は素人の私が剪定しているが、こちらは自然に任せている風だが・・ちょっと剪定してやりたい気分

(@_@;)

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https://www.morikita.com/jugoro

2月 252016
 

Tanizaki1913Ishouan

【上画像はWikipedia より 谷崎と倚松庵(いしょうあん)】

谷崎潤一郎は東灘区や芦屋に住んで居たこともあるので、この地に住んで居ると良く聞く文豪の一人なのだけれど、俗に岡本の家と言われた梅渓庵をもう見ることが出来無いのは残念である。とはいえ、住吉川畔には倚松庵もあれば、芦屋の南の方には記念館もあるので散歩がてらに覗くこともできる環境はありがたい。さらに没後50年を過ぎたということもあり、著作権消滅の為これから続々と谷崎の作品がネット上にお目見えすることになりiPadで読むのが楽しみである。

青空文庫では既に3作を読むことができる。

青空文庫はこちら(外部リンク)

東京紅團(谷崎潤一郎散策) (外部リンク)

 

嘗て谷崎潤一郎邸には数樹の「重五郎梅」という岡本特産の梅が植わっていたそうな…
重五郎梅は岡本梅林公園には植わってはいない。何故岡本公園に植えない…
重五郎梅は岡本あたりの個人宅には植わっているらしいが、不審者と間違えられるのでじっくり覗くことは出来ない。何処かにないのかと探していたら、あらまぁ小学校の中にあるじゃないか…しかも何度も見ていた_| ̄|○
そこは谷崎潤一郎が北畑に住んで居た頃の家の裏じゃないか…

まぁそんな事はどうでもいい、次の日曜日は摂津岡本梅まつりだが岡本公園まで行かないで近くの重五郎梅でも観に行くとしようかねぇ…

2月 142016
 

岡本梅林公園(岡本公園)内にある看板の山本梅岳は表示が間違っていたという事は前に書いた通りですが、正しくは山本梅崖が残したという「岡本梅林記」とはどういうものなのか、という事がほぼ掴めたのでここに書いておきます。

「小羅浮」の著者である宝積寺の住職、鹿岳光雄さんが昭和56年3月5日発行された「随筆 岡本の梅」の中でこの件に関して書いておられました。

小羅浮にも原漢文を載せられていますが、「岡本の梅」の中で「山本梅崖先生が『岡本梅林記』なる書幅を増田家にのこしておられ・・・」と表現されています。

岡本梅林記は間違いなく山本梅崖が残したもので、当時の岡本の豪族、庄屋の増田太郎右衛門がもらったということで、おそらく現在も増田家に残っているのだろうと想像できます。また、小羅浮の原漢文に田淵恒(太郎)の名前が出てくるのも文人墨客や役人、名主が入れ替わり立ち替わり訪れたのだろうと安易に想像できます

 

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上画像、「岡本の梅」を神戸市立東灘図書館から借りてきました

随筆「岡本の梅」昭和56年3月5日発行 著者 鹿岳光雄 発行所 宝積寺

 

わずか100年前は本山村に500人程度だった人口が100倍以上に・・・
(明治10年425人、明治42年433人この間ほぼ変わらず。大正元年584人、大正5年716人、大正10年900人、昭和元年1345人、昭和19年5119人 。野寄、岡本、田中、田辺、北畑、小路、中野合計本山村戸数調査表より)

 

ヘボソ塚(扁保曽塚)古墳も梅林も今では見る事が出来ないが、一編の文章を読むだけでもタイムトラベルできるのは楽しい

扁保曽ってなんなのだろうねぇ・・・
ヘボソで機織りの音が聞こえたのだそうな・・・

中国泰氏一族の大渡来によってやってきた秦人は機織が得意で雄略天皇の時に布織物を献上したとか・・
摂津名所図会に扁保曽墓の項に『岡本の袁佐婆(おさば)に立てる扁保曽塚、布織る人は岡本にあり』と・・・

村の伝説では毎年正月の2日に塚の方から布を織る筬(おさ)の音が聞こえたといふ・・・
岡本も古名『おさもと』かも・・・
北畑も織物道具の『ハタ』、機人(ハタビト)の北ではないか・・・
野寄は布織『ぬのおり』から来ているのではないか・・

そう言われるとなんだか一つに繋がります・・・ふむふむ

 

 

まぁ、諸説あります・・・

 

想像するのはたのしいねぇ・・・

(参考文献)「小羅浮(しょうらふ)」昭和8年2月11日発行(1933年)岡本梅郷保勝記  著者:鹿岳光雄
随筆「岡本の梅」昭和56年3月5日発行 著者 鹿岳光雄 発行所 宝積寺
宝積寺は下の地図参照

2月 082016
 

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本山村誌の中に「野寄の大石」というのがあったので久しぶりに見に行ってきた。

野寄というのは地名である。昔の表示は野寄小字大石という地名からして、この大石が目印だったに違いない

「野寄の大石」の存在は、子供の頃より知っているが、近くに居ながらこれを見に来るのは数十年ぶり。

宅地開発でもうなくなってしまっているのではないかと思っていたら、なんと!立て札まであり、昔と変わらず鎮座していた

場所:神戸市東灘区西岡本4丁目5 あたり詳しくは下のヤフー地図参照

大半は私有地?内にあるが一部は道路を占有している。とは言っても、住宅街の裏道なので問題はなさそう。ここを通る人は多くないかもしれない。子供の頃に見た大石は上から7枚目の白黒写真の様に全体を見渡せていた。道路は舗装されていたと思うが、大石近くまで土塀だった、もしくは草ぼうぼうだと思ったが今は駐車場になっている。今は大学の駐車場になっているのかな?日曜日だったので1台も車は止まっていないので中に入り写真撮影・・・記憶が定かではないが、たぶん裏から見るのは初めて

 

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上の写真は「甲南学園の50年」よりスキャン

下の写真は「本山村誌」昭和28年7月30日発行 より抜粋

現在はこの写真撮影当時よりも数十センチ埋まってしまっている感じ。というか、周りが高くなった(

上1枚は保久良の雷岩、下2枚は野寄の大石)

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石の表面には写真からも見てとれるように大小の穴が沢山あいてデコボコしている

本山村誌の中に資料として野寄大石の海蝕実測図(下)があった。単位はCm 小数点が見にくいが1.2-2.65-2.9 1.7-3.9-1.8-2.7 (野寄の大石)となっている

風食説もあるが、穿孔性鹹水産貝類(せんこうせいかんすいさんかいるい)による穴ではないかとしているが明らかではない。貝がこんなに穴をあけたのかぁ!(@_@)

標高も高くないので太古の昔の海岸線はこのあたりだったのかもねぇ?

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上の図は神戸市中央図書館の蔵書「本山村誌」資料より

(昭和28年7月30日発行 非売品 編纂人:本山村誌編纂委員会 發行人:本山村誌編纂委員会 委員長 林 勇次郎  印刷所:株式会社弘文堂印刷所 京都市左京區田中西浦町四十)

時を経て随分形が変わってしまったのか?

保久良神社雷岩海蝕実測図もあるので、折をみて見に行ってみようかな・・・

本山村誌の中に断層の記述があり、また「300-400mのロックガーデンの花崗岩にも海蝕の痕跡あり、185mの保久良神社附近のホーンストーン及び金鳥山附近の350mの珪質頁岩(けいしつけつがん)に明らかに汀線(ていせん)附近に棲息する貝類の浸食と考えられる円形ないし楕円形の大小の孔を見る事が出来る」とあり、この大石は高度が40m(グーグルアースでは高度47m)で扇状地の上にあるので転石の疑もあるが、表面の孔が鮮明なので転石后浸食を受けた事も考えられる。高度が低い所のものほど孔が鮮明なのは注意すべき点であるとしている

いずれにしても100万年から数10万年前のものであるとしているので、はっきりわからない。

謎ですなぁ ? ?

穿孔性の鹹水産(かんすいさん)貝類も書かれてあるので、ここにその儘転記しておこう(ただし明らかなスペルのミスは修正しました。その他ウェブで拾ったリンクを追加しました)

1クロシギノハシ(Lithophaga teres .Philippi)

2イシマテ(Lithophaga Leisolenus curta Lischke)

3セミアサリ(Petricola claudiconcha japonica Dunker)

4シオツガイ(Petricola aequistriata . Sowerby,1874)

5ススガイ (Jouannetia cumingii . Sowerby, 1849)

6ニオガイ Barnea (Anchomasa) manilensis (Philippi,1847)

ニオガイ科二枚貝の機能形態と穿孔基質の関係

7マツカゼ Irus mitis (Deshayes)

8ヤヘウメ Phlyctiderma japonicum (Pilsbry,1895)

9カモメガイ(Pholdidae Penitella pentia Conrad)

10イワホリミョウガ(Lithotrya Valentiana .Gray)

 

参考:中新世穿孔性貝類およびその生痕の化石(糸魚川淳二)地球科学、第67号(1963年7月)

 

調べだして列記するだけでも相当量あるので、キリがないのでここで終わる _| ̄|○

あとは勝手に調べてくだされm(__)m

 

この件に関しご意見、ご感想はメール、もしくはコメントよりお願いいたします。以上

 

 

2月 012016
 

bairin

 

この看板間違っています。古い文献を調べて分かりました。
山本梅岳ではなく 「山本梅崖(やまもとばいがい)」 が正しいと思われます。

山本梅岳って誰?

で、インターネットで山本梅岳を調べたところ、この看板を引用したと思われる情報ばかりヒットし、これ以外の情報は何一つ得られませんでした。

日本の全ての出版本が集められているという国立国会図書館の検索でさえ、文献としての情報が得られなかったのです
ならば、郷土史の文献を一つ一つ内容を調べるしかありませんでした。それで、東灘区の図書館に行ってみました。しかし、蔵書の数が少なく結局、神戸市立中央図書館の方に行って調べてきました。

おぉぉ・・、あった!

結論から言うと、この看板の文章はまちがっています。昭和28年7月30日発行の「本山村誌」 非売品 の文章を引用したらしく、これが間違っていた様です

(根拠その1)
下画像は、神戸市中央図書館の蔵書「本山村誌」昭和28年7月30日発行 編纂人:本山村誌編纂委員会 發行人:本山村誌編纂委員会 委員長 林 勇次郎  印刷所:株式会社弘文堂印刷所 京都市左京區田中西浦町四十

余談:この本山村誌によると林勇次郎は第十代村長さんです、さらに看板の中に出てくる増田太郎右衛門は第六代村長さんということが分かりました\(^o^)/

motoyamamurasi

yamamotobaigai

本山村誌を印刷する時、手組み植字する段階で誤ったものと思われます。

どう考えてみても山本梅崖(やまもとばいがい)が正しいようです

ウェブで山本梅岳を検索すると、この看板を引用した文章ばかり出てきますが、全て間違いという事になります。

Wikipediaのウメ も、この文章を丸々引用しているので間違っている事になります Wikipedia は修正されました
神戸市の公園なので神戸市建設局公園部にはこの件についてメール送信しております・・・ので、たぶん調査の上、しかる時期に修正されるものとは思いますが・・・・(この件、一番下に追記あり、解決!

 

山本梅岳という人はいません

 

あの看板がいつ立てられたのかは知らないが、昭和57年2月となっているという事からして、ずっと間違っていることになります。

 

山本梅岳の件、すべてはこの本(本山村誌)が間違っていた事に始まります
しつこい様ですが、もう一度書いておきます「山本梅崖(やまもとばいがい)」が正しい!
下の画像のように、索引ではちゃんと正しく「山本梅崖・・・P.627」と載っているのに本文中ではなぜか山本梅岳に _| ̄|○

またまた、どうでもよい余談になりますが、本山村誌の索引はアイウエオ順ではなくイロハ順でした。昭和だなぁ・・(^_^;)

sakuin

 

(根拠その2)
更に参考としてもう1冊。神戸市中央図書館の蔵書(館内閲覧のみ)持出し禁止書籍

「小羅浮 (しょうらふ)」著者:鹿岳光雄、にも山本梅崖の名前が・・・

「岡本梅林記」P.105-P.106   この漢文が看板にもある「岡本梅林記」の様です。
羽柴秀吉の話も書かれていますね。この部分では「本山村誌」は「小羅浮」を参考にしているようです。

この漢文は「本山村誌」P.627に下記の様に分かりやすく書かれています

羽柴秀吉が行軍の途上、岡本部落邉を通過し、軍兵の渇を止めるため「前に梅林あり、まさに子を結ぶ、甘酸啖可し」と傳えたところ、士卒は、口中に水を生じ、渇が止つたと言う傳説を記しているから、かなり古くから存在したものの様である。

 

 

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昭和8年2月11日発行(1933年)の「小羅浮(しょうらふ)」岡本梅郷保勝記  著者:鹿岳光雄
(上画像は神戸市中央図書館蔵書「小羅浮」の最後の見開き2ページのコピー)

P.105からP.106 この岡本梅林記に関する文にも梅崖山本憲の名前が出てきます(最後の行)

山本梅崖についてはウェブ検索で調べてください。おそらくいっぱい出てきます

 

いろいろと調べていると更に疑問が出てしまう_| ̄|○
最後の10文字はどういうことだろう。どこが区切り??
七十三叟月香田淵恒書 ?? あぁ、わからない _| ̄|○
小羅浮の著者、鹿岳光雄さんが生きておられたら聞いてみたい所ですが・・・

田淵恒(太郎)?・・・山本梅崖ではなく元は田淵恒(太郎)書なのか?月香は雅号?73才の・・
梅崖山本憲撰って書いてるし・・・

あぁ、わからない。・・・この岡本梅林記の漢文、よくよく読んでみると小羅浮に噛み砕いて書いてた様に思う・・・図書館でざっと一読しただけなので細かく覚えていないが・・
ケチらずに全頁コピーすればよかったなぁ・・・_| ̄|○
まぁ、この疑問は置いておいて・・おいおい調べる事にしよう・・
(2014.2.14追記。この件もほぼ解決 → → → 詳しくはこちら

 

で、・・・

 

少なくとも山本梅岳の件は間違った看板ではないかと思われるので、もう一度検証いただき間違いであるなら、この時期大勢の人が岡本公園を訪れてあの看板を見ることになると思いますので早く訂正してもらいたいものです(ウィキペディアもね)  Wikipedia は修正されました

神戸市の公園の事なので、神戸市建設局公園部あてに表示まちがいの指摘メールをおくりましたので、調査後しかるべき時期に修正されるものと期待しております。すぐにメール受け付けの確認自動返信メールは来ました(@_@)が・・(この件、一番下に追記あり、解決しました!

進展があれば此処とFacebookの方で報告いたします
以上

 

(2016.2.11追加)
これまで分かっている事(敬称略)
山本梅崖(1852-1928)
田淵恒太郎(1830- ) 兵庫県印南郡東西神吉村長、藍綬褒章受章者(明治25年)
鹿岳光雄、小羅浮、宝積寺、岡本の梅
更に岡本梅林記も分かりました

(2016.2.19追記)
神戸市建設局東部建設事務所公園緑地係の担当者様より本日回答メールいただきました。
「現地にて表記の誤りを確認しましたので取り急ぎ応急的な表記の訂正を行い、後日最終訂正を行います。ご連絡ありがとうございました。」との事でした。
正直もっと時間を要するかと思っていましたが、素早い対応をとっていただけましたm(__)m

今回1つの単純な疑問(山本梅岳って誰?)から調べて行くうちに誤りである事に気が付きました。インターネットのお陰でなんでもクリック1つで分かるように思っていますが、重箱の隅をつつくような事は最終的に自分の足と目と想像力で調べる事も大事だと改めて思いました。
\(^o^)/
図書館で文献を調べ正解を見つけた時点でこの件は私の中で終わっていますので、神戸市建設局に連絡しないで、あの案内看板を見た人が疑問に思うように誤記を残しておいた方が良かったのかなぁ?などと思ったりもします。ちょっと、意地悪かなぁ・・・
ひょっとして、岡本梅林の関係者はこの誤りはとっくにご存知で、いろいろ調べる事を期待していたのかなぁ・・・なわけないか・・・(爆)
(2016.2.21追記)
天気が良かったので確認してきました、観梅の人たちが大勢訪れていました。来週は梅まつりなので本日の比ではないのだろうなぁ・・。文字は下画像通り応急的に修正されたようです。

baigai0221
この件に関してのご意見はコメントを残していただくか、メールをください

1月 202016
 

bairin

岡本(梅林)公園内の案内板を読んでみると

「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林の起源は明確でないが、山本梅岳の「岡本梅林記」に羽柴秀吉の来訪が記されているところよりかなり古くから存在していたようである。寛政十年(1798)には『摂津名所図会』に岡本梅林の図が登場する程盛んとなった。(以下略)」

とあるのですが、ここに記された山本梅岳ならびに岡本梅林記なるものがさっぱりわからない。

便利なインターネット検索エンジンを使っても全く出て来ない。出てくるのは、この看板の文章をそのままコピーした文面の記事ばかりなのです_| ̄|○

国立国会図書館サーチを使ってみても出て来ない_| ̄|○

もう、これは完全にお手上げです。

郷土歴史関係の書籍を探すしかないのかなぁ・・・ いっそ、朝日放送の探偵ナイトスクープにでも依頼しようか(爆)

ここに記された山本梅岳ならびに岡本梅林記なるものをご存知の方、情報ありましたらお教えください

追記(2016.2.1)
この件自己解決しました。山本梅岳ではなく山本梅崖じゃないかな?詳しくはこちら
(2016.2.19追記)
誤表示指摘に対し神戸市建設局東部建設事務所公園緑地係の担当者様より本日回答メールいただきました。
現地にて表記の誤りを確認しましたので取り急ぎ応急的な表記の訂正を行い、後日最終訂正を行います。ご連絡ありがとうございました。との事でした。(すべて解決!) m(__)m

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