2月 222017
 

ジョウビタキのメス。警戒心が低いのでカメラを向けても逃げないので撮りやすかった。
今日はまた冬が戻ったのかと思うくらい風が冷たかった。鳥も心なしか寒そうだった。

オスならもっと鮮やかな橙色をしているのだが…見る限り単独の様だった。スズメくらいの大きさ

2月 282016
 

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かつて岡本に重五郎梅というこの地特産の梅があったそうな。今では殆ど見る事が出来ないが、なんと近くの本山第一小学校校庭にあることが分かり見に行ってきた。
小学校は今年140年を迎えた歴史のある学校(前身は田辺小学校、創立明治8年(1875年)12月1日)。残念ながら校庭の自由開放日ではなかったので入れなかったので外から眺める。(プール横なので校内からは近寄れないと思われるので、学校の外の踏切近くの塀越しから覗くのが最寄りでベスト)
幾輪かは開花してはいるが全体からみるとまだ先の様だ。南高梅や加賀など白梅がすでに満開なのにくらべると少々遅い感じ。

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重五郎梅の大きさは第一小学校のHPに画像があり、それを見てみるとその実の大きさが分かるがかなりのものだ。直径5cmくらいというから結構な大きさだ。

我が家にも梅の木があるが(もちろん重五郎梅ではない白梅、樹齢推定60年位)、数年前に採れた過去最大の1粒くらいありそうだ。(下画像は5,6年前に良く採れた時の写真)

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重五郎梅についてウェブ上に正しい記事がないようなので、以前調べた話をここに書いておこう

その昔岡本の字名、東山田(現在の岡本5丁目あたり)に重五郎という者が改良と培養に心血を注ぎ、ついに大粒にして且つ美味なる実の梅を創成するに至った。以前松谷重郎兵衛さんが東山田に住んでおられ、その松谷家という豪族が梅林をもっておられたという事から、この家のご先祖さんの誰かがつくられたのだろうという事だ。

重五郎梅について面白い話があります。かつて明治25年に、魚崎の岡本藤治という人が東京に旅行した時に、鳥森の某旅館に泊まりました。そして宿の者に焼酎漬けの梅を求めました。女中が持ち来りまして「この梅は灘岡本の重五郎梅ですから、少々高うござんす」と申しまして、一粒金10銭を支払ったとの事です。その頃は白米1升78銭という頃でありましたから誠に面白い土産話であると、今に言い伝えています。因みに只今(昭和8年現在)にても重五郎梅をはじめ、その他の梅におきましても、一般市場の梅よりも遥かに高値でありまして、岡本梅と銘打ちますものは1升1円ないし2円と申しています。岡本の梅がいかに良種であり、その名声を今に留めているか分かる一端でしょう。
(昭和8年(1933年)発行 「小羅浮」鹿岳光雄著より)

 

 

(その他の関連資料)

白梅では「重五郎」紅梅にては「りんしゅう」が最上だと申す。

唐梅はこの郷の特種なるもので唐梅の名は岡本梅の代名詞という程に広く知られています…

・・・・

唐梅については別の日に語ろう・・・

 

 

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特徴的なものは現物を見てもなかなか捉えにくい。中輪一重 白色,淡紅色という感じか・・

開花は他に比べかなり遅いように感じる、これは一つの特徴かも。ただ、学校内の梅の為か選定が殆どされていない様に見える、枝ぶりもやたらと入り込んで密集している_| ̄|○ これも影響しているのかも・・・

我が家の梅は素人の私が剪定しているが、こちらは自然に任せている風だが・・ちょっと剪定してやりたい気分

(@_@;)

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https://www.morikita.com/jugoro

2月 282013
 

2016年摂津岡本梅まつりについて追記:
摂津岡本梅まつり 平成28年2月28日 (日) 午前10時~午後3時 となっております

岡本公園内の看板、一部表記が間違っています。岡本(梅林)公園内の案内板を読んでみると
昔から、「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われた岡本梅林の起源は明確でないが、山本梅岳の「岡本梅林記」に羽柴秀吉の来訪が記されているところよりかなり古くから存在していたようである。寛政十年(1798)には『摂津名所図会』に岡本梅林の図が登場する程盛んとなった。(以下略)」とありますが・・・
山本梅岳ではなく山本梅崖です。古い文献を調べて分かりました。 この件に関する詳しい話はこちら
以上
bairin
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2013年2月24日 岡本梅林公園 摂津岡本梅まつり

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今年は少し咲くのが遅い様に思われる。暖かい日が続くと、いっきに咲くのだろうけど

「気仙沼まただいん」がテントで商品を販売していたので、1つ買って帰った

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岡本のお店にも行ってみたが、盛況の様でお店に入るのはまたの機会にする事にした。

下の写真は岡本のお店 ↓

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2月 102013
 

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メジロは梅が好きなのだろう。よくやってくる。梅にウグイスはよく聞く言葉だけど、梅にはメジロが似合うかも

警戒心が低いので写真も撮りやすい、ウグイスだとこうはいかない、鳴き声は聞こえても姿を見るのは難しい。カメラを構えようものなら何処かに行ってしまう。

 

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早い花はもう咲いている。

 

 

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全体ではまだまだ、もう1本若い梅の木があるが、そちらはつぼみもまだ出ていない

 

 

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ぼちぼち咲き始めてはいる。今年の岡本梅林公園の梅まつりは2月24日だから、見ごろはそのあたりか?

 

2月 272011
 

植えるのが遅かったのでどうなる事かと思っていたけれど、今水仙が満開となった

たくさん植えたのでかなりの甘い匂いが漂っている

(3月27日追記  まだ沢山咲いてはいるが、もうそろそろ終わりの感じ。今日は風が冷たい)

天気もそこそこだし、岡本の梅林園で梅まつりをやっているというので出かけてみた。

昼を過ぎていたので、既に甘酒もパンも苗木もなかった。午後もかなりの人出だが、午前中はごったがえしていたに違いない。

 

岡本の梅林園はこの時期有名だが、正直もっと大きな公園かと思っていたが意外に小さな公園だ。近くに居ながら初めて来た感想としてはそんな感じだ。でも、いろんな種類の梅の木が植えられているので、じっくり見るには十分な広さだ。

白い花、「月宮殿」と書いてあった

公園内の案内板には次のように書かれてあった

昔から、「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」と唄われ岡本梅林の起源は明確でないが、山本梅岳(←この看板はミスプリント、山本梅崖ではないかと思われる)の「岡本梅林記」に羽柴秀吉の来訪が記されているところよりかなり古くから存在していたようである。寛政十年(1798)には『摂津名所図会』に岡本梅林の図が登場する程盛んとなった。
明治維新後は、国学者大国隆正が、「岡本の梅とききつつ来てみれば 梅の中なる岡本の里」と詠じているように 全村の各戸に梅の木を植え、増田太郎右衛門所有の約3ヘクタールの梅林をはじめとして、相当広い範囲にわたっていた。
明治三十年頃から観梅期に国鉄が臨時停車場を設けるようになり、明治三十八年に開通した阪神電車が青木停留所を設けるにいたり岡本の観梅は阪神間における年中行事の一つとなった。
このように令名をうたわれた岡本梅林も昭和十三年の災害で山が崩れ、戦災で梅の木も消滅し、その後の開発で宅地化され、ほとんどその面影を残さない状態となっていたが、このたび岡本梅林を記念し『岡本公園』として、その一部を復活整備した。

昭和57年2月

(右下、絵はがき下に書かれてある文章)
「梅は岡本・・・」と唄われたころの岡本梅林の絵はがき(明治四十年-1907-のスタンプがある)
この頃は二月十一日の旧紀元節を山びらきとし、三月中旬を山じまいとした。この間一ケ月は茶亭が建ち並び梅果の焼酎漬、梅菓子等を行楽客に勧めた。梅は当初実を取るため植えられたもので、年間百石以上を産し品質が良いことで有名であった。

かつての本山、岡本の地は梅が沢山植わって梅の産地だったらしい。

(追記 2016.1)
岡本公園内の案内板に、山本梅岳、岡本梅林記の事について書かれていますが、いくら調べてみてもわからないのです。
この件についてご存知の方、郷土史に詳しい方、この件についてお教えいただけないでしょうか。メールもしくはコメント投稿より連絡お願いいたします。

(追記 2016.2.1 解決しました)

おそらく山本梅岳は間違い山本梅崖(やまもとばいがい)が正しいと思われます

詳しくは、こちら

 

2月 122011
 

バラ科サクラ属 落葉高木 2,3日前より咲きだしたようだ

梅の木にはメジロがよくやってくる。ウグイスも勿論やってくるが、よく見かけるのはメジロだ

夏も、冬も天気が極端だけど、時期が来れば咲いている。6月には2本の木から30キロ前後採れるが今年はどうだろう